「私、死ぬかもしれない」 YMさんの手記1

この度、会員のYMさんから、貴重な体験談とアドバイスをいただきました。5回に分けて連続シリーズでご紹介します。(最終回は編集者からのコメントになります)また、別途「おすすめBOOK」でも推薦の本をご紹介してゆきます。

毎年子宮頸がん検診を受けていましたが、年々良くない結果をもらうようになっていました。手術をしないで治そうと努力してきたつもりでしたが、とうとう高度異形成という結果が出てしまい、「このままではがんになる可能性が高いので手術をするように」と医師から説明がありました。とてもショックでしたが、勧められた子宮頸部円錐切除術を受ければ、「もう気に病むこともなくなるだろう」と、複雑な思いで手術を受けることにしました。

告知の3年前になりますが、長い闘病生活を続けた母が他界しました。幼少の頃から母は精神を病んでおり、当時は良い思い出など何一つないと感じていました。穏やかな日などたった一日もなかったからです。過酷な日々の中、気づけば私は心身が衰弱し、感情が無くなり笑い方も分からなくなっていました。その為、そのような母を看ることは本当に苦痛であり、亡くなった時は悲しみよりも「やっと解放された」という思いの方が上回っていました。

が、その直後から、今度は高齢の父が入院手術を繰り返すようになり、車椅子生活になってしまいました。父も感情が激しく怒鳴り癖があり、癇癪を起さない日はありませんでした。てんかん発作の持病がある知的障害者の姉もいます。全て投げ出したい気持ちでしたが見捨てることも出来ず、自分を奮い立たせる毎日を送っていました。長く先の見えない家族のケアに心身疲れ果て、家族を車に乗せて移動している時は、対向車にトラックを見つけると突っ込むタイミングを考えてしまう事もありました。

円錐切除術当日、全身麻酔をする直前は、「術後は意識が戻らなくてもいい。もう家のことをやらなくて済むから…」 そんな思いで手術に臨んだことを今でも鮮明に記憶しています。

円錐切除術の2週間後、病理結果が出ました。そこで思いも寄らない告知を受けたのです。「摘出した中に扁平上皮癌、上皮内癌が見つかり、断端陽性でまだ取りきれず残っています。お子さんを望まないなら子宮全摘です。紹介状をお渡ししますので早く大学病院に行ってください。優先して対応してくれるはずです。部分摘出手術もありますが7~8時間を要するとても難しい手術で、40歳を過ぎて妊娠の確率が低い人は、比較的簡単な子宮全摘手術をすることが一般的です。」との内容でした。

「今日は辛い検査や手術もないし結果を聞いて帰るだけ。厄介事が片付いてスッキリして帰れる!」 そんな気持ちは一瞬で消えてなくなりました。病院帰りの景色は来た時とは全く違って見え、まるで別の世界にでも放り込まれたかのようでした。悲しみと恐怖の闇に包まれ、次から次へと涙が溢れ出てきました。

「私、死ぬかもしれない…」

その時初めて死を意識しました。

「なんて愚かな自分だったのだろう…。」

「子宮頸がんワクチン、なぜもっと早く出来てくれなかったのかしら。」

様々な思いがめぐり、また涙が止まらなくなりました。(残念なことに、現在ワクチンを打った方の中には大変なご苦労をされている方がいらっしゃいます。) そして本当に自分勝手なもので、「助かりたい!! 生きたい!!」 今度は本気でそう思う自分がいました。

私は以前、家族や友人の病がきっかけで、福田安保理論の「自律神経免疫療法」や「免疫革命」を読んだり、福田稔先生のセミナーに参加したこともありました。病気に対する考え方が180度変わり、理解していたつもりだったので、まさか今回のようなことが自分の身に起こるとは思いもしませんでした。結局わかっているつもりでいただけだったのです。

そんな自分に愕然とし、医師の言う通りに全摘手術を受けた方が良いのではとも考えました。ですが、やはり病院の治療方針に納得できずにいました。「がんの三大治療といわれるものに頼らず何とかならないものか」そう思う自分がいました。

続く