今を生きる・キャンサー21

がん患者自助グループ、「今を生きる・キャンサー21」の10周年記念誌「がんと共に生きて ~負けない・あきらめない 私たちからのメッセージ~」の、「世話人のつぶやき」から引用いたします。(一部改変しています)がん患者会というものの意味や価値がよくわかります。

1996年12月、穂高養生園で第1回キャンサー・サポート・プログラムが開催されました。そして、その会に参加したメンバー有志が、「せっかく集まったメンバーがこのまま再び出会うことなく過ぎてゆくのはとても残念なので、年2回くらい同窓会という形で集いを持とう」ということで、この会はスタートしました。最初の出会いの際には、術後間もない方も多く、全体に厳しい状況の方もあって、世話人を引き受けた当初は、3年経過したら会員は半減かもしれないと危惧していました。世話人ですら役目を全うできるかどうか不明な上、元気になって別れていくのは喜ばしい事でも、むしろ亡くなってゆく形での別れが待っていることが必至の会を敢えて作ることの意味は何だろうと考えざるを得ませんでした。

しかし、患者とそのサポーターが集まり、自然の中で「素」に近い自分と向き合い、養生園のワークや、お楽しみの穂高めぐりなどを体験しながら、それぞれのがん体験やその思いを語り、気持ちを共有し、お互い支え合うという自助グループの重要性やグループとしての力の大きさは、時間の経過とともに徐々に認識されるようになりました。会員相互の関係が深まって、病気(がん)だけでなく、やがて広く生き方などまでを話し合うことができるようになってきました。がん患者もサポーターも共に「死に往く身」として共通の基盤に立って、生き方を探り考える機会を与えてくれるものとして、会のあり方に意義深さを感じ、会員の姿勢に深い感動を覚えるのは、世話人の私だけではないと確信しています。

10年の間には、癌患者とサポーターとのグループに対する温度差、目的の違い、会のあり方についての見解の相違など様々なことがありましたが、それらを潜り抜け、年2回の養生園での例会開催を守り、会を続けてきました。基本的には、癌患者およびそのサポーターという入会資格があるだけで他には会則もなく、退会する人、継続する人、いろいろな伝手で入会する人等々、会への出入りは「来るもの拒まず、去るもの追わず」で、緩やかな枠で繋がっており、オープンな会であることをモットーに続けてきました。幸い、期待(?)を裏切って、生存率の良いがん患者の自助グループであると自認しています。現在では、がんから殆ど卒業した会員が、サポーターとして会を支える大きな力となっています。

当初は会の名前もなく、私は癌友会などと称していました。5周年を迎えるときが、丁度2001年であり、せめて21世紀に皆で臨もうという意味で、「21世紀を臨む会」と称していた時もありました。そして5周年を迎えた後、会の名称を「今を生きる・キャンサー21」とし、21世紀を迎えた我々としては、がんと共存していく中で、十分に「今を生きる」ことこそが充実した生命を生きることであり、持たされた時間をどう生ききるかを問われていることでもあると考えています。それこそががんからのメッセージだと思われます。 (中略)

春秋2回の養生園での例会、随時実施する特別例会、5周年記念行事などを通して、会員相互の新陸を図り、支え合いを行ってきましたが、残念なことに闘病の末亡くなられたかたもおられます。〇〇さん、△△さん、・・・・・・。亡くなっていかれる方からも多くのことを学びました。生きることへの勇気も与えられました。ここに改めて感謝し、哀悼の意を表したいと思います。

がんは治る病気だと言われ始めてきました。しかし、長年に亘って厳しい道を辿る方もあり、共生の厳しさを痛感します。今後とも共に支え合い、日々を充実させる一助としてこの会がお役に立てればと願っています。 2006年10月

池田町の七色大カエデとキャンサー21メンバー