YMさんの手記 解説とコメント 編集者より

YMさんの手記 解説とコメント 編集者より

YMさんの体験談はすばらしいものでした。読まれた方も大いに励まされ、勇気づけられることかと思います。誤解があるといけませんので、医師の立場から少し説明を加えさせていただきます。

まず、最初の手術(円錐切除)で、断端に残存があったことは決して最初のドクターのミスではありません。一般にがんは境界が目で見て明らかにわかるわけではなく、必要以上に切除しないようにある程度経験と勘で取りに行くことになります。それを検証するために、断端を調べているわけです。

次に、大学病院の対応ですが、今はがんの治療に関しては、「ガイドラインに基づく標準治療」というのが大体決まっていて、それに則って治療方針を決めるというのが一般的です。特に大学の場合は、教育や研究の立場からすると、標準を外れる治療というのは、あまり行うことができませんし、一人の医師だけの判断で勝手に治療方針を決めることができません。(もちろん個々に特殊な事情がある場合もありますが)さらに、現在の一般的な医学常識では、進行がんが自然治癒することはないと考えて治療方針を立てています。もちろん、自然治癒することはありうるのですが、それはやはり稀なケースであって、最初からそれを期待して治療方針を立てることは出来ないのです。まあ、物の言いようは医師の個性の問題で、最近は医師の接遇マナーという教育も行われ始めつつあります。

標準的な治療法というのは、過去の経験から積み重ねられた、現時点で最も有効性で安全と考えてられている治療方針ですので、大学病院の治療方針に従わないということは、「自分で自分の人生に責任を取る覚悟を持ったうえで、あえてリスクの高い茨の道を歩む」という選択をすることになります。そして、そこには、体と心のライフスタイルの改革という大きなレッスンが待ち受けています。

ですが、あえて茨の道を歩んだがゆえに、最後には大きな気づきを得て、より良い充実した人生が過ごせるようになったことは、手記で書かれている通りです。さまざまな、治療法を挙げておられますが、どの治療にもそれぞれの意味があると思われます。「どれが効いたのか」ということを詮索したくなりますが、そうではなく、すべての治療に向き合ってゆく心の中にこそ、治癒へのヒントがあるのだと思います。このプロセスを通して、最後には「がんに対してすら感謝の気持ちが持てるようになった」とおっしゃっています。大きな拍手を送りたいと思います。

「間違ったことをしなければ、生き物は再生する」 YMさんの手記4

「間違ったことをしなければ、生き物は再生する」 YMさんの手記4

参考のため、病の時に実践したことをご紹介します。

○食事

・玄米・菜食・白湯・常温の水・人参ジュース(注:搾りたてのみ)

・調味料は塩、味噌、醤油。

※よく噛んで食べることを大切に、ストレスにならないように楽しみながら続ける。(百回噛めば病は治るといわれています)

○運動(毎日汗を流す)

・有酸素運動、ウォーキング、サイクリング、ヨガ、ストレッチ

〇ケア

・気功、瞑想、呼吸を意識する。

・源泉かけ流し温泉、岩盤浴、炭酸泉。

・爪もみ、リンパケア、リフレクソロジー。

○睡眠

・早寝早起き。

・不眠にならないよう早期に恐れを手放し、安心のもと十分な睡眠を取る。恐れは理解していないところからくるものです。福田安保理論で病になる仕組みと癒える仕組みを知り、世間一般の情報に振り回されない胆力を持つ。

○心持ち

・愛、調和、謙虚さ、思いやり、素直さを大切にする。

・自分も人も許し、全て(ご先祖やがんにも)に感謝する。

◯イメージする

・治ったときの自分を想像し、思いきり嬉しい気持ちに浸る。

・がん細胞が消えていく映像を想像する。

◯その他

・合唱、笑うこと、モーツァルト鑑賞。

・患部のチャクラと同じ色の肌着(赤いショーツや腹巻き)を着用する。

・末期がんを克服した人の本を読む。

・中村天風「運命を拓く」の誦句を音読する。

・なぜ病になったか原因を突き止める。自分ととことん向き合い、医学的なものではない、自分にしかわからない原因を追求する。

・病と闘おうとしない。がんは体を守ってくれるためにできた体の一部と考える。叩くのではなく、「おとなしくしてね」と優しく声をかける。

・自分で手当てをする・自分の体に謝る。患部や体に「いつもありがとう、治してあげるから大丈夫だよ」と手を当て擦り、優しく話しかけてあげる。体はこの世で活動するために借りている乗り物です。どんな理由があろうと、借りている大切なものを傷つけたことに謝る。

・生かされていることに手を合わせ感謝する。

起床時「今日も生かしてくださりありがとうございます。」

就寝時「今日も一日ありがとうございました。」

・病をむやみに人に話さず、病を忘れるくらいの気持ちで生活する。病人扱いされない環境を自分でつくる。

・病を知っている人に対しては、もしも私が不安になっているような時は「大丈夫だよ、絶対治るよ。」と笑顔で答えてもらうようにお願いをしておく。

・神社へお参り。神社はお願いするところではなく、誓いの場と捉えています。「毎日治すために努力しています。必ず治します。どうぞ見守ってください。」と報告宣言する。

・自然や宇宙という偉大なものに対する畏敬の念を持つ。太陽の光(特に朝日)を感謝しながら手のひらや患部、背中にあびる 。月や夜空を眺め、つながりを感じる。森の中に身を置き、木や植物に触れる。鉢植えで枯れてしまった植物を地植えしておくと勝手に再生するという姿を何度も見てきました。間違ったことをしなければ生き物は再生する力を持っていて、それは人も同じだと思います。

「がんは心のしこり」 YMさんの手記3

「がんは心のしこり」 YMさんの手記3

実は最初は、「検査結果はお見せできません。」と言われていました。「どうしてもというなら」ということで見せていただいたのですが、このような病院の対応にも驚きました。こちらから尋ねなければ検査結果は知らされず、不本意に全摘手術を受けていたかもしれないということです。がんが無くなったことには一切触れず、再びがんができるであろうと言われ、手術を強く勧められました。「残存していないのであれば、定期検査をしながら様子をみていきたいのですが。」と伝えると、「あなたが持参した検体の中からあんなに沢山のがんが出てきたのに何を言ってるの!またできるに決まってます!!あなたでは話にならないから今度ご家族と一緒に来てください!ご家族の方が臓器摘出を強く望む場合がありますから!」と言われました。

こちらを本気で心配してくれてのことなのでしょうが、それはそれは物凄い剣幕で、私の意見は全く聞き入れてもらえず、話は平行線のままに終わりました。

それからは別の病院で定期的に検査を受けることにし、数年を過ぎた今も良い結果を頂いています。

当初は数年掛けてのんびりと自分の出来ることをやろうと思っていました。体の細胞は数年の周期があれば全て生まれ変わると知ったからです。私の場合は、取り残しの小さながんでⅠ期b1ということもあってか、幸いにも5ヶ月で治癒に至りました。誤診なのでは?偶然なのでは?と言われることがありますが、がんの検体も持参していますしやり方が違っていればがんは進行すると思います。

末期がんから回復された方の本を読んだりすると、やはり人には皆それぞれ治す力が備わっているのだなと強く思います。生活習慣を改めることが大切ですが、心持ちを変える事もとても重要だと感じました。

「がんは心のしこり」

自分の過去を振り返り、原因をつきとめました。それは自分の境遇を受け入れられずにいたことだったと気づき、考え方を変えて全てを感謝に変えていくよう努力しました。そして、病は気づきです。「今の生き方をしていると持ちませんよ」と、気づかせてくれるありがたい警告だと思いました。

どんな境遇に置かれたとしても、その状況や周りの人に感謝。「生きている」のではなく「生かされている」ことに感謝。そしてがんに対しても「敵だ」と闘おうとせず、気づかせてくれたことに感謝し、癒えていくよう声をかけながら過ごしました。

そして人も自分も許すこと。毎日自分の体に「ごめんね、私が治してあげるからね。」と謝り、全てを許すようにしていきました。体の声に耳を傾け、自分がどうしたいのかではなく、「体はどうして欲しいのか」をよく聴き、癒やしてあげることがとても大切だと思いました。

これらの気づきが、これまでの生き方や考え方を改めることにも繋がりました。寿命以上に生きることは出来ませんが、「与えられた寿命を縮めるようなことはしてはいけない」という謙虚さを、これからも持ち続けて生きていきたいです。

私を病だと知りながらも見守り、支え続けてくれた家族や水野先生。気づきのきっかけを与えてくださった化粧品会社さんや先生方に改めて感謝申し上げます。

この体験が、同じ悩みを持っていらっしゃる方の目に留まり、少しでも励みになれば幸いです。治癒の4年後、“ホリスティック”という言葉を初めて知り、そしてその定義がまさに病のときに考えていたものと一致していたことに気づきました。

「人は治るようにできている」 YMさんの手記2

「人は治るようにできている」 YMさんの手記2

そんな時、ふと肌荒れで困っていた頃の事を思い出しました。ある化粧品に出逢ったことで、肌が改善したという経験です。薬の使用を中止し正しいお手入れをすることで、モルタルの外壁のようになってしまった肌がどんどん良くなっていったこと。これまで何の疑いもなく使用していたステロイドやアトピー薬、ワセリンに対して、初めて疑問を持つようになり、調子が悪くなればすぐ薬に頼るという考え方を大きく変えてくれた出来事でした。

「体も自分の力を取り戻せるのではないかしら」

福田稔先生が残してくださったお言葉は、「人は治るようにできている」でした。

「正しいやり方をすれば、体にも同じことが起こるのでは…。もし三大療法に頼らず治癒に至れば、私の周りの人たちに何かを伝えることができるかもしれない。自分の体で試してみよう。」そのような思いに至り、治すことが与えられた使命のように強く感じるようになりました。

改めて本を何度も読み返し、また新しい本にも出逢いました。中でも気功の水野先生から教えて頂いた、中村天風の「運命を拓く」は私の心をとても強くしました。また水野先生の存在と気功施術は、大きな支えとなり新しい世界を広げてくれました。そしてさらなる知識と新たな気づきをいただくことになったのです。

初めて心と身体の仕組みを知ることになり、真っ先に恐怖というものを手放しました。この恐怖や不安というものが、一番治癒の妨げになるからです。恐れという感情が一番恐ろしいと知ると、手放さない訳にはいきません。命がかかっていますので。

「シクシク泣いて悲しんでいる場合ではない!」と気合が入りました。

そして病院には行かず自分で出来ることをひたすら続けてみようという大きな決断をしました。周りには理解してもらえないと思ったので、家族以外に病気の事は話しませんでした。実際家族にも反対されたのですが、自然治癒について説明し、全て自己責任で覚悟を決めているということを理解してもらいました。そして病人扱いをしないでほしいと思いを伝えました。もし途中でがんが進行してしまっていたら、再度考え直し別の方法を選択すれば良いことであり、どうしてもダメだった場合は手術することも範疇にありました。

「よし、出来る限りやってみよう!」

方向性は決まりました。得た知識や理論を軸とし、信念を持つ。治った時の自分を思い描く。それが心の支えになりました。それからは恐怖を手放したおかげで、不眠症気味だったはずが毎晩ぐっすり眠れるようになりました。

それから約5ヶ月。告知以来初めて大学病院に検査に行きました。もし進行していればやり方を改めなければいけないので、経過を知る必要があったからです。

そしてその1週間後、検査結果を聞きに行きました。自分の番が回ってくると、真っ先に医師から手術や手術前検査の日取りを決める話をされました。「やっぱりダメだったか…」と思いながら、「先日の検査結果はどうでしたか?」と尋ねると、PC画面をこちらに向けてくれました。そこには、『癌の残存は認めません』とありました。

「消えた…? うそっ? …ほんと??」

検査結果にとても驚きました。こんなに早く努力の成果を得られるとは思っていなかったからです。

ですが、・・・・

続く

「私、死ぬかもしれない」 YMさんの手記1

「私、死ぬかもしれない」 YMさんの手記1

この度、会員のYMさんから、貴重な体験談とアドバイスをいただきました。5回に分けて連続シリーズでご紹介します。(最終回は編集者からのコメントになります)また、別途「おすすめBOOK」でも推薦の本をご紹介してゆきます。

毎年子宮頸がん検診を受けていましたが、年々良くない結果をもらうようになっていました。手術をしないで治そうと努力してきたつもりでしたが、とうとう高度異形成という結果が出てしまい、「このままではがんになる可能性が高いので手術をするように」と医師から説明がありました。とてもショックでしたが、勧められた子宮頸部円錐切除術を受ければ、「もう気に病むこともなくなるだろう」と、複雑な思いで手術を受けることにしました。

告知の3年前になりますが、長い闘病生活を続けた母が他界しました。幼少の頃から母は精神を病んでおり、当時は良い思い出など何一つないと感じていました。穏やかな日などたった一日もなかったからです。過酷な日々の中、気づけば私は心身が衰弱し、感情が無くなり笑い方も分からなくなっていました。その為、そのような母を看ることは本当に苦痛であり、亡くなった時は悲しみよりも「やっと解放された」という思いの方が上回っていました。

が、その直後から、今度は高齢の父が入院手術を繰り返すようになり、車椅子生活になってしまいました。父も感情が激しく怒鳴り癖があり、癇癪を起さない日はありませんでした。てんかん発作の持病がある知的障害者の姉もいます。全て投げ出したい気持ちでしたが見捨てることも出来ず、自分を奮い立たせる毎日を送っていました。長く先の見えない家族のケアに心身疲れ果て、家族を車に乗せて移動している時は、対向車にトラックを見つけると突っ込むタイミングを考えてしまう事もありました。

円錐切除術当日、全身麻酔をする直前は、「術後は意識が戻らなくてもいい。もう家のことをやらなくて済むから…」 そんな思いで手術に臨んだことを今でも鮮明に記憶しています。

円錐切除術の2週間後、病理結果が出ました。そこで思いも寄らない告知を受けたのです。「摘出した中に扁平上皮癌、上皮内癌が見つかり、断端陽性でまだ取りきれず残っています。お子さんを望まないなら子宮全摘です。紹介状をお渡ししますので早く大学病院に行ってください。優先して対応してくれるはずです。部分摘出手術もありますが7~8時間を要するとても難しい手術で、40歳を過ぎて妊娠の確率が低い人は、比較的簡単な子宮全摘手術をすることが一般的です。」との内容でした。

「今日は辛い検査や手術もないし結果を聞いて帰るだけ。厄介事が片付いてスッキリして帰れる!」 そんな気持ちは一瞬で消えてなくなりました。病院帰りの景色は来た時とは全く違って見え、まるで別の世界にでも放り込まれたかのようでした。悲しみと恐怖の闇に包まれ、次から次へと涙が溢れ出てきました。

「私、死ぬかもしれない…」

その時初めて死を意識しました。

「なんて愚かな自分だったのだろう…。」

「子宮頸がんワクチン、なぜもっと早く出来てくれなかったのかしら。」

様々な思いがめぐり、また涙が止まらなくなりました。(残念なことに、現在ワクチンを打った方の中には大変なご苦労をされている方がいらっしゃいます。) そして本当に自分勝手なもので、「助かりたい!! 生きたい!!」 今度は本気でそう思う自分がいました。

私は以前、家族や友人の病がきっかけで、福田安保理論の「自律神経免疫療法」や「免疫革命」を読んだり、福田稔先生のセミナーに参加したこともありました。病気に対する考え方が180度変わり、理解していたつもりだったので、まさか今回のようなことが自分の身に起こるとは思いもしませんでした。結局わかっているつもりでいただけだったのです。

そんな自分に愕然とし、医師の言う通りに全摘手術を受けた方が良いのではとも考えました。ですが、やはり病院の治療方針に納得できずにいました。「がんの三大治療といわれるものに頼らず何とかならないものか」そう思う自分がいました。

続く