がんは生き方を問う~ものの見方を変える

がんは生き方を問う~ものの見方を変える

写真は、日の出でしょうか? 日の入りでしょうか? 夜明けでしょうか? 夕暮れでしょうか?

こういうクイズを出されると、がんの話だからきっと「生きる命の喜びを表現する夜明けだ」いや、「死に行く命の最後の輝きを表現する夕暮れだ」などと考えられることか思います。きっと皆さんのそれぞれのイメージがあることでしょう。

しかし、固定観念でしばられていませんか? 視点を変えて、クイズの答えとして、「この写真は、日の出でも日の入りでもない」とういう可能性はないでしょうか? 絶対にどちらかでしょうか?

実は、地球上には、北極圏とか南極圏とかがあって、そこでは真夏には太陽が沈まず、真冬には太陽はのぼりません。だとすれば、これが「正午の太陽」だったり、「真夜中の太陽」であることも、理論的にあり得ない話ではないのです。

図をみると、この○と+と□はそれぞれ別のものです。ところが、下の図のように一つのものを三方向からみた影絵だとすれば、この一見全く違う三つのものは同じものを表現しているということになります。つまり、物を見る視点を変えてやれば、全く違ったものが見えてくるのです。ひとつの事を見るのに、「良い」か「悪い」か、という軸だけではなくて、それに対して、90度違った方向から、あるいは斜めからみる見方というのは、無限にあるのです。

 

このような考え方を、がんについてあてはめてみたらどうなるでしょうか。がんについては、例えば「がんはどんどん大きくなって最後には宿主を殺す」といった「常識」や、「がんはとても悪いもので、見つけたら早く撲滅しなければならない」という「固定観念」があると思います。しかし、実は一面的な見方しかしていないのではないでしょうか?もっと違った角度からの見方もあっていいのではないでしょうか。

おそらく、多くの人ががんに対して持っているイメージは、程度の差こそあれ、およそ次のようなものだと思います。

・がんの本当の原因はわかっていない。つまり、確実な予防のできない病気だ。

・がんは不治の病・死の病である。そして、痛い、苦しい病気である。

・がん放っておくとどんどん大きくなり、最後には命を奪う。

・一旦原発巣が消えても、再発や転移をする。

・早期発見・早期手術が全てである。再発・転移したらもうだめだ。

・手術、放射線、化学療法(抗がん剤)で効かなければ、もう手のほどこしようがない。

・三大療法は、こわい、副作用の多い、危険な治療法である。

・だから何としてでも早いうちに治さなければならない。

およそこういった考え方で、私も医学教育を受けてきました。手術の技術や、抗がん剤は、進歩してきてはいますが、根底にある基本的な考え方は同じです。

そして、再発し末期になってきたとしたら、医療者としてすべきことは、苦痛を取り除く緩和ケア、すなわち治療をあきらめるということになります。これが現代のがん医療における基本的な考え方です。

しかし、がんは本当に憎むべき敵なのでしょうか? 本当にそんなに悪いものなのでしょうか。もしかしたら、先ほどの写真や絵のように、見方を変えてみるとまったく違ったものが見えてこないでしょうか。

おそらく多くの方々は、がんはとても悪いあるいは恐ろしいものだと考えていることかと思います。しかしこのコーナーでは、見る角度を変えてみると、実は「がんはそんなに悪いものでもないですよ」「がんは実は大きな意味と価値のあるものなのですよ」というお話をさせていただきたいと思っているのです。

 

いきたひ 生前四十九日

いきたひ 生前四十九日

長谷川ひろ子・秀夫 共著 アートビレッジ 2017年

生と死を合体させた不思議な文字は、最後のはねが再び生の最初の一画につながっている。生タヒ(いきたひ)は、生きた日、生きたい、行きたい、活きたい、往きたい、逝きたい、そして生きた灯の意味があるとか。

47歳の若さで、がんで逝った夫。それを家族で看取った妻。夫と妻、そして家族の生きざまは、死は変容であり、やがて甦るという希望と勇気を与えてくれる。

宿題は解けたのだろうか?

宿題は解けたのだろうか?

「がんになりましてねえ」と電話口で言ったら、間髪を入れずに「へえ、それはまたすごい宿題をもらいましたねえ」と返ってきた。思わずニヤッとする。相手はある民宿の親父。「病気や困難は天から与えられた宿題、明るく前向きに取り組む事に価値がある」と、故伊藤真愚先生はおっしゃっていた。お互いそれを知っていたからわかる言葉だ。

ホリスティック医学という言葉と出会った頃、ホリスティック医学とは現代医療と代替医療を統合し、見事に駆使して理想的な治療を目指すものだと思っていた。そしていろんな治療法を見てゆく中で、治療効果に与える心の影響を考えた時、治療のつらさ、苦しさにも意味があり、現代医学でも代替医療でもその理論だけにとどまらない意味や価値があるということに気づいた。全ての事にそれなりの意味はあるのだ。だから、代替医療を頭ごなし否定する医学者も、逆に、現代医学や他の治療法の欠点をあげつらい、自らの療法のみが正しいとするような狭い考え方の代替医療家も、決してホリスティックではないと感じていた。ホリスティックな考え方とは、自分とは異なる他人の価値観を認め、その存在を許すことができることだろうと思う。

そんな私は、8年前にがんになった。病状は、それほど生易しいものではなかったが、治療の余地はあった。まさに、ホリスティックながん治療を自ら実践するチャンスであるとすら考えていた。しかし・・・、

「現代医学と信頼できる代替医療を統合して、うまく使いこなせば理想的な治療ができる」という甘い考え方はみごとに敗北した。時間がない、継続できない、お金がない、保証もない。楽して治そうなんて甘いのだ。つらい、苦しい思いをして、自分自身が本当に変わらなければならないのだ・・・

がんになったあかつきに、「自然治癒学プロジェクト」で、がんの自然治癒について話してくれと頼まれた。ごく稀にあるがんの自然治癒のケースは何を教えてくれるのか? 改めて考えてみると、心の治癒力にスイッチが入るには、スピリチュアリティの変化が大きい影響を与えていると考えざるを得ない。平たく言うと、がんが教えてくれるのは「生き方を変える」ことだということに気づいた。つまり、ホリスティック医学の定義の中の5番目、「病の持つ深い意味に気づくこと、より深い自己実現をめざすこと」が最も重要で、ホリスティック医学の真髄はここにあると思うようになった。切羽詰ったぎりぎりの崖っぷちに身を置かざるを得ないがんという病気は、だからこそ非常に深い意味と価値があるのだ。

そして、自分にとってのがんの意味を考え続ける生活が続いた。

一方で、総合病院での耳鼻咽喉科・頭頸部外科医としての仕事も続けている。そこで日々見るものは、いろんな悪条件と向かい合いながら、その時々の医療を必死に行っている病院のスタッフたちと、患者さんたちの姿である。現場では、ホリスティック医学の理屈など言っておれないような厳しい現実がある。理想のホリスティック医療への希望を心の奥深くに置きながら、いま、ここでできることをやってゆくしかないのも事実だ。日々訪れてくる多くのがん患者さんが、自らに課されたがんの意味に気づき、その後の人生をよりよいものにしてくれるよう心の中で願いながら、私はメスをにぎり、抗がん剤を処方し、あの世に旅立たれる方のお手伝いをしている。最近ではそれが、私のがんが私に教えてくれた私の仕事、「がんの意味」だと思うようになってきた。理想のホリスティック医療は、幸福の青い鳥のように、探して、探して、探し求めてそのうちどこかで見つかるものではなく、実は、問題ばかりで理想からははるかに遠いと思っている自らの日々の診療の中にこそあるのかもしれないと思い始めている。

ホリスティックな医療とは、決して各種の代替医療にかけるお金がある人たちや、立派なホリスティックマインドを持った優秀な治療家にめぐり合えた幸運な人々だけが享受できるようなものではないはずである。現代医療は、その技術はすばらしい面がある一方で、大きな矛盾と問題を抱えている。高度な先進医療を、保険制度のもとで誰でもが受けられる有難い環境にありながら、医療への不満と不信からドクターショッピングを繰り返す人々がいる一方で、予防接種を受けることすらできずに幼い命を閉じる子供たちもこの地球上にはいる。検査と治療に高額のお金のかかる先進医療は、どう見ても全ての人々に平等に行き渡るものではない。今や日本の医療は崩壊寸前。我々勤務医は疲弊しきって、救急医療や小児医療から手を引く病院も増えている。医療のありように対する考え方そのものを見直すことを余儀なくされる時代になりそうである。

・・・が、これは必ずしも不幸なことではないのかもしれない。今の医療制度の崩壊は、実は、今までの「何かおかしい」医療に対して、自然治癒力とでもいうべき力が働いて、医療が本来のあるべき姿であるホリスティックな方向に向かってゆく道程なのではないだろうか。ホリスティックな医療が必然的に医療の主体になってゆく、いやならざるを得ない時代が近づいて来ているようにも思える。

がんは、本当にいろんなことを考えさせてくれる存在である。

さて、宿題は解けたのだろうか?

(日本ホリスティック医学協会 Holistic News Letter Vol.67 2007年5月 ホリスティックコラムより)

これでいいのだ TIDA APA APA

これでいいのだ TIDA APA APA

私:「わたし、がんなんです」

バカボンのパパ:「それでいいのだ!」

天才バカボンはギャグ漫画??

この本の「はじめに」にはこう書かれています。

・・・バカボンとはサンスクリットでブッダのことで天才を意味します。自己の意識を自由にあやつる天才。これさえ唱えていれば天才になれるような気がします。これでいいのだを手にしたら、すでにあなたは天才バカボンです。

なんとかなるのだ

すべてがうまくいってしまうのだ

やっぱりこれしかないのだ

あなたはすごい人なんだ

何も求めないのだから

それでいいのだ

この本には、「これでいいのだ」というのが200回近く出てくる。それを目で追っていれば、自然にマントラ的効果があり、頭の中には「これでいいのだ」文字がかけめぐるに違いない。つまりお経の反復効果があるのだ。~と著者は述べています。

野口法蔵 著  七ツ森書館 2009年

今、病室の片隅に居るあなたへ  船戸崇史

今、病室の片隅に居るあなたへ  船戸崇史

西洋医学は非常に有能なツールです。使わない手はありません。ただし、治す準備が必要です。良眠、良食、加温、運動、笑いの五つの習慣(五ヶ条)は治すための準備です。その上でがん治療に取り組みましょう。

重要な心構えは、がんを消すことに必死にならないことです。「必ず死ぬ」と書きますから。あなたは、がんを治すために生れてきましたか? 大事なことは、がんを治して何がしたいのか? です。私はそれを「志」と呼んでいます。がん治療は人生の目的ではありません。手段です。がんが治って、したいこと(志)があって、今できる力があれば、それを同時にしましょう。「がんが治るから幸せになる」のではなく「幸せだからがんも消えて行く」のだと私は信じています。がんは、あなたに「本来のあなたに甦りなさい」と言っているに過ぎないのですから。

がんが治らないと死に至りますが、がんが治ってもいずれ死にます。死は生きるものの宿命ですから。1000人以上の看取りを経験してきて、死ななかった人は誰一人いませんでした。しかし、私たちは「生きるか、死ぬか」で悩んでいます。死にたくないからです。でも100%死ぬなら、死ぬ事は考えなくてもいいのです。生きる事だけを考えましょう。選択肢があるとすれば、「生きるか、死ぬか」ではなく「どう生きるか」しかありません。

死ぬほど苦しい人は、その苦しみから逃れるために在る死は恩寵です。死は苦しみではなく苦しみからの解放です。私は、乗り越えられない試練はないと信じています。人生思い通りではないですが予定通りです。訪れる試練が大きいほど、それにチャレンジできるくらい、あなたは進化した魂なのです。きっと。どうか、今の「がん」を通して、本来のあなたにリボーンされることを祈念しています。

岐阜県養老郡養老町 船戸クリニック 院長 船戸崇史

今を生きる・キャンサー21

今を生きる・キャンサー21

がん患者自助グループ、「今を生きる・キャンサー21」の10周年記念誌「がんと共に生きて ~負けない・あきらめない 私たちからのメッセージ~」の、「世話人のつぶやき」から引用いたします。(一部改変しています)がん患者会というものの意味や価値がよくわかります。

1996年12月、穂高養生園で第1回キャンサー・サポート・プログラムが開催されました。そして、その会に参加したメンバー有志が、「せっかく集まったメンバーがこのまま再び出会うことなく過ぎてゆくのはとても残念なので、年2回くらい同窓会という形で集いを持とう」ということで、この会はスタートしました。最初の出会いの際には、術後間もない方も多く、全体に厳しい状況の方もあって、世話人を引き受けた当初は、3年経過したら会員は半減かもしれないと危惧していました。世話人ですら役目を全うできるかどうか不明な上、元気になって別れていくのは喜ばしい事でも、むしろ亡くなってゆく形での別れが待っていることが必至の会を敢えて作ることの意味は何だろうと考えざるを得ませんでした。

しかし、患者とそのサポーターが集まり、自然の中で「素」に近い自分と向き合い、養生園のワークや、お楽しみの穂高めぐりなどを体験しながら、それぞれのがん体験やその思いを語り、気持ちを共有し、お互い支え合うという自助グループの重要性やグループとしての力の大きさは、時間の経過とともに徐々に認識されるようになりました。会員相互の関係が深まって、病気(がん)だけでなく、やがて広く生き方などまでを話し合うことができるようになってきました。がん患者もサポーターも共に「死に往く身」として共通の基盤に立って、生き方を探り考える機会を与えてくれるものとして、会のあり方に意義深さを感じ、会員の姿勢に深い感動を覚えるのは、世話人の私だけではないと確信しています。

10年の間には、癌患者とサポーターとのグループに対する温度差、目的の違い、会のあり方についての見解の相違など様々なことがありましたが、それらを潜り抜け、年2回の養生園での例会開催を守り、会を続けてきました。基本的には、癌患者およびそのサポーターという入会資格があるだけで他には会則もなく、退会する人、継続する人、いろいろな伝手で入会する人等々、会への出入りは「来るもの拒まず、去るもの追わず」で、緩やかな枠で繋がっており、オープンな会であることをモットーに続けてきました。幸い、期待(?)を裏切って、生存率の良いがん患者の自助グループであると自認しています。現在では、がんから殆ど卒業した会員が、サポーターとして会を支える大きな力となっています。

当初は会の名前もなく、私は癌友会などと称していました。5周年を迎えるときが、丁度2001年であり、せめて21世紀に皆で臨もうという意味で、「21世紀を臨む会」と称していた時もありました。そして5周年を迎えた後、会の名称を「今を生きる・キャンサー21」とし、21世紀を迎えた我々としては、がんと共存していく中で、十分に「今を生きる」ことこそが充実した生命を生きることであり、持たされた時間をどう生ききるかを問われていることでもあると考えています。それこそががんからのメッセージだと思われます。 (中略)

春秋2回の養生園での例会、随時実施する特別例会、5周年記念行事などを通して、会員相互の新陸を図り、支え合いを行ってきましたが、残念なことに闘病の末亡くなられたかたもおられます。〇〇さん、△△さん、・・・・・・。亡くなっていかれる方からも多くのことを学びました。生きることへの勇気も与えられました。ここに改めて感謝し、哀悼の意を表したいと思います。

がんは治る病気だと言われ始めてきました。しかし、長年に亘って厳しい道を辿る方もあり、共生の厳しさを痛感します。今後とも共に支え合い、日々を充実させる一助としてこの会がお役に立てればと願っています。 2006年10月

池田町の七色大カエデとキャンサー21メンバー