執筆者 staff | 4月 10, 2021 | 愛場
私:「わたし、がんなんです」
バカボンのパパ:「それでいいのだ!」
天才バカボンはギャグ漫画??
この本の「はじめに」にはこう書かれています。
・・・バカボンとはサンスクリットでブッダのことで天才を意味します。自己の意識を自由にあやつる天才。これさえ唱えていれば天才になれるような気がします。これでいいのだを手にしたら、すでにあなたは天才バカボンです。
なんとかなるのだ
すべてがうまくいってしまうのだ
やっぱりこれしかないのだ
あなたはすごい人なんだ
何も求めないのだから
それでいいのだ
この本には、「これでいいのだ」というのが200回近く出てくる。それを目で追っていれば、自然にマントラ的効果があり、頭の中には「これでいいのだ」文字がかけめぐるに違いない。つまりお経の反復効果があるのだ。~と著者は述べています。
野口法蔵 著 七ツ森書館 2009年
執筆者 staff | 4月 5, 2021 | 愛場
西洋医学は非常に有能なツールです。使わない手はありません。ただし、治す準備が必要です。良眠、良食、加温、運動、笑いの五つの習慣(五ヶ条)は治すための準備です。その上でがん治療に取り組みましょう。
重要な心構えは、がんを消すことに必死にならないことです。「必ず死ぬ」と書きますから。あなたは、がんを治すために生れてきましたか? 大事なことは、がんを治して何がしたいのか? です。私はそれを「志」と呼んでいます。がん治療は人生の目的ではありません。手段です。がんが治って、したいこと(志)があって、今できる力があれば、それを同時にしましょう。「がんが治るから幸せになる」のではなく「幸せだからがんも消えて行く」のだと私は信じています。がんは、あなたに「本来のあなたに甦りなさい」と言っているに過ぎないのですから。
がんが治らないと死に至りますが、がんが治ってもいずれ死にます。死は生きるものの宿命ですから。1000人以上の看取りを経験してきて、死ななかった人は誰一人いませんでした。しかし、私たちは「生きるか、死ぬか」で悩んでいます。死にたくないからです。でも100%死ぬなら、死ぬ事は考えなくてもいいのです。生きる事だけを考えましょう。選択肢があるとすれば、「生きるか、死ぬか」ではなく「どう生きるか」しかありません。
死ぬほど苦しい人は、その苦しみから逃れるために在る死は恩寵です。死は苦しみではなく苦しみからの解放です。私は、乗り越えられない試練はないと信じています。人生思い通りではないですが予定通りです。訪れる試練が大きいほど、それにチャレンジできるくらい、あなたは進化した魂なのです。きっと。どうか、今の「がん」を通して、本来のあなたにリボーンされることを祈念しています。
岐阜県養老郡養老町 船戸クリニック 院長 船戸崇史
執筆者 staff | 4月 5, 2021 | 愛場
がん患者自助グループ、「今を生きる・キャンサー21」の10周年記念誌「がんと共に生きて ~負けない・あきらめない 私たちからのメッセージ~」の、「世話人のつぶやき」から引用いたします。(一部改変しています)がん患者会というものの意味や価値がよくわかります。
*
1996年12月、穂高養生園で第1回キャンサー・サポート・プログラムが開催されました。そして、その会に参加したメンバー有志が、「せっかく集まったメンバーがこのまま再び出会うことなく過ぎてゆくのはとても残念なので、年2回くらい同窓会という形で集いを持とう」ということで、この会はスタートしました。最初の出会いの際には、術後間もない方も多く、全体に厳しい状況の方もあって、世話人を引き受けた当初は、3年経過したら会員は半減かもしれないと危惧していました。世話人ですら役目を全うできるかどうか不明な上、元気になって別れていくのは喜ばしい事でも、むしろ亡くなってゆく形での別れが待っていることが必至の会を敢えて作ることの意味は何だろうと考えざるを得ませんでした。
しかし、患者とそのサポーターが集まり、自然の中で「素」に近い自分と向き合い、養生園のワークや、お楽しみの穂高めぐりなどを体験しながら、それぞれのがん体験やその思いを語り、気持ちを共有し、お互い支え合うという自助グループの重要性やグループとしての力の大きさは、時間の経過とともに徐々に認識されるようになりました。会員相互の関係が深まって、病気(がん)だけでなく、やがて広く生き方などまでを話し合うことができるようになってきました。がん患者もサポーターも共に「死に往く身」として共通の基盤に立って、生き方を探り考える機会を与えてくれるものとして、会のあり方に意義深さを感じ、会員の姿勢に深い感動を覚えるのは、世話人の私だけではないと確信しています。
10年の間には、癌患者とサポーターとのグループに対する温度差、目的の違い、会のあり方についての見解の相違など様々なことがありましたが、それらを潜り抜け、年2回の養生園での例会開催を守り、会を続けてきました。基本的には、癌患者およびそのサポーターという入会資格があるだけで他には会則もなく、退会する人、継続する人、いろいろな伝手で入会する人等々、会への出入りは「来るもの拒まず、去るもの追わず」で、緩やかな枠で繋がっており、オープンな会であることをモットーに続けてきました。幸い、期待(?)を裏切って、生存率の良いがん患者の自助グループであると自認しています。現在では、がんから殆ど卒業した会員が、サポーターとして会を支える大きな力となっています。
当初は会の名前もなく、私は癌友会などと称していました。5周年を迎えるときが、丁度2001年であり、せめて21世紀に皆で臨もうという意味で、「21世紀を臨む会」と称していた時もありました。そして5周年を迎えた後、会の名称を「今を生きる・キャンサー21」とし、21世紀を迎えた我々としては、がんと共存していく中で、十分に「今を生きる」ことこそが充実した生命を生きることであり、持たされた時間をどう生ききるかを問われていることでもあると考えています。それこそががんからのメッセージだと思われます。 (中略)
春秋2回の養生園での例会、随時実施する特別例会、5周年記念行事などを通して、会員相互の新陸を図り、支え合いを行ってきましたが、残念なことに闘病の末亡くなられたかたもおられます。〇〇さん、△△さん、・・・・・・。亡くなっていかれる方からも多くのことを学びました。生きることへの勇気も与えられました。ここに改めて感謝し、哀悼の意を表したいと思います。
がんは治る病気だと言われ始めてきました。しかし、長年に亘って厳しい道を辿る方もあり、共生の厳しさを痛感します。今後とも共に支え合い、日々を充実させる一助としてこの会がお役に立てればと願っています。 2006年10月
池田町の七色大カエデとキャンサー21メンバー
執筆者 staff | 3月 28, 2021 | 愛場
今の医療の現場では、がんの告知はあたりまえになってきました。一方、がんという言葉から受けるイメージは、患者さんにとって、極めて悲観的で、「ショックで何も覚えていない、考えられない」という人も多いようです。おそらくご本人もご家族も、大変な混乱と不安にさいなまれていることかと思います。さらには、世間に流れる多くの混沌とした情報。どうしていいのかわからない。何が正しいのかわからない。そんな中で、医療から見放された「がん難民」という言葉さえ生まれてきています。そういった方々へ、少しでも救いになれば、少しでも希望と勇気を呼び起こせたら。そういう思いで、この文を書いています。本当は診察室でじっくりお伝えすべきことなのですが、今の病院の医療のシステムでは残念ながら患者さんの話に、ゆっくり耳をかたむける、じっくり話す時間はとても取れないのが現実です。そこでこのページでゆっくり語ることにします。
ただ、これから発信してゆくことは、ふつうのがんに関する本に書かれていることとはかなり違っています。がんに対する一般的な治療法や医学常識といったものは、多くの教科書に書かれている事や信頼できる施設のホームページなどを参考にしてください。これからお話しする内容には、とまどわれることもあるかと思います。何だか突拍子も無い事を書いているように思われるかもしれません。ここにあるのは、現代医学のがんの解説ではなく、逆に現代医学を批判して特殊な代替医療をすすめるものでもありません。また宗教をすすめる本でもありません。強いて言えば、生き方への提言といったところでしょうか。
世の中には、がんについて知られていること、語られることはいっぱいあります。「こんな考え方もあるのか」と気楽にお付き合いいただければ有難いことです。もしこの文があなたのお役に立つことができれば、たいへん嬉しいことです。そうなれば、私のがんが他のどなたかに癒しをもたらすという大きな意味を持つことになり、こんなすばらしいことはないからです。
執筆者 staff | 3月 17, 2021 | 愛場
つながり
このコーナーでは、例えば患者会、Webサイト、あるいは施設の紹介などの情報提供をしてゆこうと考えています。人間は人と人のつながりで生きていることは言うまでもありません。しかし、がんという病気で悩んでいる時、実は孤独になっていませんか? 決してひとりで生きているのではないことを思い出して下さい。あなたと同じような境遇で悩んでいる人は実はいっぱいいるのです。つながりを持つことによって、周りの人から癒され、また知らないうちに自分も周りを助けることが出来ます。そういう、「つながりの場」のエネルギーは時に大きな力を生みだすことを、多くの人が教えてくれています。