執筆者 staff | 5月 27, 2021 | 愛場
そんな時、ふと肌荒れで困っていた頃の事を思い出しました。ある化粧品に出逢ったことで、肌が改善したという経験です。薬の使用を中止し正しいお手入れをすることで、モルタルの外壁のようになってしまった肌がどんどん良くなっていったこと。これまで何の疑いもなく使用していたステロイドやアトピー薬、ワセリンに対して、初めて疑問を持つようになり、調子が悪くなればすぐ薬に頼るという考え方を大きく変えてくれた出来事でした。
「体も自分の力を取り戻せるのではないかしら」
福田稔先生が残してくださったお言葉は、「人は治るようにできている」でした。
「正しいやり方をすれば、体にも同じことが起こるのでは…。もし三大療法に頼らず治癒に至れば、私の周りの人たちに何かを伝えることができるかもしれない。自分の体で試してみよう。」そのような思いに至り、治すことが与えられた使命のように強く感じるようになりました。
改めて本を何度も読み返し、また新しい本にも出逢いました。中でも気功の水野先生から教えて頂いた、中村天風の「運命を拓く」は私の心をとても強くしました。また水野先生の存在と気功施術は、大きな支えとなり新しい世界を広げてくれました。そしてさらなる知識と新たな気づきをいただくことになったのです。
初めて心と身体の仕組みを知ることになり、真っ先に恐怖というものを手放しました。この恐怖や不安というものが、一番治癒の妨げになるからです。恐れという感情が一番恐ろしいと知ると、手放さない訳にはいきません。命がかかっていますので。
「シクシク泣いて悲しんでいる場合ではない!」と気合が入りました。
そして病院には行かず自分で出来ることをひたすら続けてみようという大きな決断をしました。周りには理解してもらえないと思ったので、家族以外に病気の事は話しませんでした。実際家族にも反対されたのですが、自然治癒について説明し、全て自己責任で覚悟を決めているということを理解してもらいました。そして病人扱いをしないでほしいと思いを伝えました。もし途中でがんが進行してしまっていたら、再度考え直し別の方法を選択すれば良いことであり、どうしてもダメだった場合は手術することも範疇にありました。
「よし、出来る限りやってみよう!」
方向性は決まりました。得た知識や理論を軸とし、信念を持つ。治った時の自分を思い描く。それが心の支えになりました。それからは恐怖を手放したおかげで、不眠症気味だったはずが毎晩ぐっすり眠れるようになりました。
それから約5ヶ月。告知以来初めて大学病院に検査に行きました。もし進行していればやり方を改めなければいけないので、経過を知る必要があったからです。
そしてその1週間後、検査結果を聞きに行きました。自分の番が回ってくると、真っ先に医師から手術や手術前検査の日取りを決める話をされました。「やっぱりダメだったか…」と思いながら、「先日の検査結果はどうでしたか?」と尋ねると、PC画面をこちらに向けてくれました。そこには、『癌の残存は認めません』とありました。
「消えた…? うそっ? …ほんと??」
検査結果にとても驚きました。こんなに早く努力の成果を得られるとは思っていなかったからです。
ですが、・・・・
続く
執筆者 staff | 5月 24, 2021 | 愛場
この度、会員のYMさんから、貴重な体験談とアドバイスをいただきました。5回に分けて連続シリーズでご紹介します。(最終回は編集者からのコメントになります)また、別途「おすすめBOOK」でも推薦の本をご紹介してゆきます。
毎年子宮頸がん検診を受けていましたが、年々良くない結果をもらうようになっていました。手術をしないで治そうと努力してきたつもりでしたが、とうとう高度異形成という結果が出てしまい、「このままではがんになる可能性が高いので手術をするように」と医師から説明がありました。とてもショックでしたが、勧められた子宮頸部円錐切除術を受ければ、「もう気に病むこともなくなるだろう」と、複雑な思いで手術を受けることにしました。
告知の3年前になりますが、長い闘病生活を続けた母が他界しました。幼少の頃から母は精神を病んでおり、当時は良い思い出など何一つないと感じていました。穏やかな日などたった一日もなかったからです。過酷な日々の中、気づけば私は心身が衰弱し、感情が無くなり笑い方も分からなくなっていました。その為、そのような母を看ることは本当に苦痛であり、亡くなった時は悲しみよりも「やっと解放された」という思いの方が上回っていました。
が、その直後から、今度は高齢の父が入院手術を繰り返すようになり、車椅子生活になってしまいました。父も感情が激しく怒鳴り癖があり、癇癪を起さない日はありませんでした。てんかん発作の持病がある知的障害者の姉もいます。全て投げ出したい気持ちでしたが見捨てることも出来ず、自分を奮い立たせる毎日を送っていました。長く先の見えない家族のケアに心身疲れ果て、家族を車に乗せて移動している時は、対向車にトラックを見つけると突っ込むタイミングを考えてしまう事もありました。
円錐切除術当日、全身麻酔をする直前は、「術後は意識が戻らなくてもいい。もう家のことをやらなくて済むから…」 そんな思いで手術に臨んだことを今でも鮮明に記憶しています。
円錐切除術の2週間後、病理結果が出ました。そこで思いも寄らない告知を受けたのです。「摘出した中に扁平上皮癌、上皮内癌が見つかり、断端陽性でまだ取りきれず残っています。お子さんを望まないなら子宮全摘です。紹介状をお渡ししますので早く大学病院に行ってください。優先して対応してくれるはずです。部分摘出手術もありますが7~8時間を要するとても難しい手術で、40歳を過ぎて妊娠の確率が低い人は、比較的簡単な子宮全摘手術をすることが一般的です。」との内容でした。
「今日は辛い検査や手術もないし結果を聞いて帰るだけ。厄介事が片付いてスッキリして帰れる!」 そんな気持ちは一瞬で消えてなくなりました。病院帰りの景色は来た時とは全く違って見え、まるで別の世界にでも放り込まれたかのようでした。悲しみと恐怖の闇に包まれ、次から次へと涙が溢れ出てきました。
「私、死ぬかもしれない…」
その時初めて死を意識しました。
「なんて愚かな自分だったのだろう…。」
「子宮頸がんワクチン、なぜもっと早く出来てくれなかったのかしら。」
様々な思いがめぐり、また涙が止まらなくなりました。(残念なことに、現在ワクチンを打った方の中には大変なご苦労をされている方がいらっしゃいます。) そして本当に自分勝手なもので、「助かりたい!! 生きたい!!」 今度は本気でそう思う自分がいました。
私は以前、家族や友人の病がきっかけで、福田安保理論の「自律神経免疫療法」や「免疫革命」を読んだり、福田稔先生のセミナーに参加したこともありました。病気に対する考え方が180度変わり、理解していたつもりだったので、まさか今回のようなことが自分の身に起こるとは思いもしませんでした。結局わかっているつもりでいただけだったのです。
そんな自分に愕然とし、医師の言う通りに全摘手術を受けた方が良いのではとも考えました。ですが、やはり病院の治療方針に納得できずにいました。「がんの三大治療といわれるものに頼らず何とかならないものか」そう思う自分がいました。
続く
執筆者 staff | 5月 5, 2021 | 愛場
写真は、日の出でしょうか? 日の入りでしょうか? 夜明けでしょうか? 夕暮れでしょうか?
こういうクイズを出されると、がんの話だからきっと「生きる命の喜びを表現する夜明けだ」いや、「死に行く命の最後の輝きを表現する夕暮れだ」などと考えられることか思います。きっと皆さんのそれぞれのイメージがあることでしょう。
しかし、固定観念でしばられていませんか? 視点を変えて、クイズの答えとして、「この写真は、日の出でも日の入りでもない」とういう可能性はないでしょうか? 絶対にどちらかでしょうか?
実は、地球上には、北極圏とか南極圏とかがあって、そこでは真夏には太陽が沈まず、真冬には太陽はのぼりません。だとすれば、これが「正午の太陽」だったり、「真夜中の太陽」であることも、理論的にあり得ない話ではないのです。
図をみると、この○と+と□はそれぞれ別のものです。ところが、下の図のように一つのものを三方向からみた影絵だとすれば、この一見全く違う三つのものは同じものを表現しているということになります。つまり、物を見る視点を変えてやれば、全く違ったものが見えてくるのです。ひとつの事を見るのに、「良い」か「悪い」か、という軸だけではなくて、それに対して、90度違った方向から、あるいは斜めからみる見方というのは、無限にあるのです。
このような考え方を、がんについてあてはめてみたらどうなるでしょうか。がんについては、例えば「がんはどんどん大きくなって最後には宿主を殺す」といった「常識」や、「がんはとても悪いもので、見つけたら早く撲滅しなければならない」という「固定観念」があると思います。しかし、実は一面的な見方しかしていないのではないでしょうか?もっと違った角度からの見方もあっていいのではないでしょうか。
おそらく、多くの人ががんに対して持っているイメージは、程度の差こそあれ、およそ次のようなものだと思います。
・がんの本当の原因はわかっていない。つまり、確実な予防のできない病気だ。
・がんは不治の病・死の病である。そして、痛い、苦しい病気である。
・がん放っておくとどんどん大きくなり、最後には命を奪う。
・一旦原発巣が消えても、再発や転移をする。
・早期発見・早期手術が全てである。再発・転移したらもうだめだ。
・手術、放射線、化学療法(抗がん剤)で効かなければ、もう手のほどこしようがない。
・三大療法は、こわい、副作用の多い、危険な治療法である。
・だから何としてでも早いうちに治さなければならない。
およそこういった考え方で、私も医学教育を受けてきました。手術の技術や、抗がん剤は、進歩してきてはいますが、根底にある基本的な考え方は同じです。
そして、再発し末期になってきたとしたら、医療者としてすべきことは、苦痛を取り除く緩和ケア、すなわち治療をあきらめるということになります。これが現代のがん医療における基本的な考え方です。
しかし、がんは本当に憎むべき敵なのでしょうか? 本当にそんなに悪いものなのでしょうか。もしかしたら、先ほどの写真や絵のように、見方を変えてみるとまったく違ったものが見えてこないでしょうか。
おそらく多くの方々は、がんはとても悪いあるいは恐ろしいものだと考えていることかと思います。しかしこのコーナーでは、見る角度を変えてみると、実は「がんはそんなに悪いものでもないですよ」「がんは実は大きな意味と価値のあるものなのですよ」というお話をさせていただきたいと思っているのです。
執筆者 staff | 5月 5, 2021 | 愛場
長谷川ひろ子・秀夫 共著 アートビレッジ 2017年
生と死を合体させた不思議な文字は、最後のはねが再び生の最初の一画につながっている。生タヒ(いきたひ)は、生きた日、生きたい、行きたい、活きたい、往きたい、逝きたい、そして生きた灯の意味があるとか。
47歳の若さで、がんで逝った夫。それを家族で看取った妻。夫と妻、そして家族の生きざまは、死は変容であり、やがて甦るという希望と勇気を与えてくれる。
執筆者 staff | 4月 29, 2021 | 愛場
「がんになりましてねえ」と電話口で言ったら、間髪を入れずに「へえ、それはまたすごい宿題をもらいましたねえ」と返ってきた。思わずニヤッとする。相手はある民宿の親父。「病気や困難は天から与えられた宿題、明るく前向きに取り組む事に価値がある」と、故伊藤真愚先生はおっしゃっていた。お互いそれを知っていたからわかる言葉だ。
ホリスティック医学という言葉と出会った頃、ホリスティック医学とは現代医療と代替医療を統合し、見事に駆使して理想的な治療を目指すものだと思っていた。そしていろんな治療法を見てゆく中で、治療効果に与える心の影響を考えた時、治療のつらさ、苦しさにも意味があり、現代医学でも代替医療でもその理論だけにとどまらない意味や価値があるということに気づいた。全ての事にそれなりの意味はあるのだ。だから、代替医療を頭ごなし否定する医学者も、逆に、現代医学や他の治療法の欠点をあげつらい、自らの療法のみが正しいとするような狭い考え方の代替医療家も、決してホリスティックではないと感じていた。ホリスティックな考え方とは、自分とは異なる他人の価値観を認め、その存在を許すことができることだろうと思う。
そんな私は、8年前にがんになった。病状は、それほど生易しいものではなかったが、治療の余地はあった。まさに、ホリスティックながん治療を自ら実践するチャンスであるとすら考えていた。しかし・・・、
「現代医学と信頼できる代替医療を統合して、うまく使いこなせば理想的な治療ができる」という甘い考え方はみごとに敗北した。時間がない、継続できない、お金がない、保証もない。楽して治そうなんて甘いのだ。つらい、苦しい思いをして、自分自身が本当に変わらなければならないのだ・・・
がんになったあかつきに、「自然治癒学プロジェクト」で、がんの自然治癒について話してくれと頼まれた。ごく稀にあるがんの自然治癒のケースは何を教えてくれるのか? 改めて考えてみると、心の治癒力にスイッチが入るには、スピリチュアリティの変化が大きい影響を与えていると考えざるを得ない。平たく言うと、がんが教えてくれるのは「生き方を変える」ことだということに気づいた。つまり、ホリスティック医学の定義の中の5番目、「病の持つ深い意味に気づくこと、より深い自己実現をめざすこと」が最も重要で、ホリスティック医学の真髄はここにあると思うようになった。切羽詰ったぎりぎりの崖っぷちに身を置かざるを得ないがんという病気は、だからこそ非常に深い意味と価値があるのだ。
そして、自分にとってのがんの意味を考え続ける生活が続いた。
一方で、総合病院での耳鼻咽喉科・頭頸部外科医としての仕事も続けている。そこで日々見るものは、いろんな悪条件と向かい合いながら、その時々の医療を必死に行っている病院のスタッフたちと、患者さんたちの姿である。現場では、ホリスティック医学の理屈など言っておれないような厳しい現実がある。理想のホリスティック医療への希望を心の奥深くに置きながら、いま、ここでできることをやってゆくしかないのも事実だ。日々訪れてくる多くのがん患者さんが、自らに課されたがんの意味に気づき、その後の人生をよりよいものにしてくれるよう心の中で願いながら、私はメスをにぎり、抗がん剤を処方し、あの世に旅立たれる方のお手伝いをしている。最近ではそれが、私のがんが私に教えてくれた私の仕事、「がんの意味」だと思うようになってきた。理想のホリスティック医療は、幸福の青い鳥のように、探して、探して、探し求めてそのうちどこかで見つかるものではなく、実は、問題ばかりで理想からははるかに遠いと思っている自らの日々の診療の中にこそあるのかもしれないと思い始めている。
ホリスティックな医療とは、決して各種の代替医療にかけるお金がある人たちや、立派なホリスティックマインドを持った優秀な治療家にめぐり合えた幸運な人々だけが享受できるようなものではないはずである。現代医療は、その技術はすばらしい面がある一方で、大きな矛盾と問題を抱えている。高度な先進医療を、保険制度のもとで誰でもが受けられる有難い環境にありながら、医療への不満と不信からドクターショッピングを繰り返す人々がいる一方で、予防接種を受けることすらできずに幼い命を閉じる子供たちもこの地球上にはいる。検査と治療に高額のお金のかかる先進医療は、どう見ても全ての人々に平等に行き渡るものではない。今や日本の医療は崩壊寸前。我々勤務医は疲弊しきって、救急医療や小児医療から手を引く病院も増えている。医療のありように対する考え方そのものを見直すことを余儀なくされる時代になりそうである。
・・・が、これは必ずしも不幸なことではないのかもしれない。今の医療制度の崩壊は、実は、今までの「何かおかしい」医療に対して、自然治癒力とでもいうべき力が働いて、医療が本来のあるべき姿であるホリスティックな方向に向かってゆく道程なのではないだろうか。ホリスティックな医療が必然的に医療の主体になってゆく、いやならざるを得ない時代が近づいて来ているようにも思える。
がんは、本当にいろんなことを考えさせてくれる存在である。
さて、宿題は解けたのだろうか?
(日本ホリスティック医学協会 Holistic News Letter Vol.67 2007年5月 ホリスティックコラムより)